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僕に‘運命’はあたかも‘偶然’の事のように訪れた⑦

‘挫折して変わることは 何もない’






 ある日学校にいる時、(YG)事務室から電話がかかってきた。
‘ヨンベ、スケジュールがこじれてお前が代わりに舞台に
立たなければならない。○○電車の駅まで直ぐに来い。’
 練習生の時期に時々、先輩が出演しなければならない舞台に
代打で入れるようになる場合があった。
電話を受けて行事場(イベント会場)にあたふたと走って行った。
ちょうど期末考査の期間であり授業を抜けなくても構わなかったが、
問題は次の日にも試験は続くということだった。

 舞台に上がれる機会というのは、そんなにありふれたことではない。
僕は万事を差し置いてイベント場に走っていった。
 そこで電車の駅に到着して電話をかけたところ
事務室の仲間は誰もでなかった。多分、イベントの準備のため暇が
なくてそうなったみたいだ。
結局、こうすることも出来ず、ああすることも出来ず、路上で
再び連絡がくることだけをひたすら待った。
そうして3、4時間が過ぎただろうか?
やっとマネージャーの兄さんに連絡がついた。



 ‘兄さん、僕○○駅の前なんです。今 ずっと待ってます。’
すると兄さんはとても驚いた。

 ‘何? いまだに待っていたって?’
 ‘はい。’
つづく兄さんの言葉は失望するものだった。

 ‘イベントはとっくに終わったよ。
  お前が来れないと思って、そのまま(お前を)抜いてやったさ。
  舞台が終わったのがいつなんだか。 また練習室に戻れ’
 
 
 どこへ行こうが練習生というのは、運搬中に落としても二度と拾わない
荷物のかたまりと違わない。
 何を上手くやれるか解らなくて、教えるのに苦労した努力すべてを
そのまま一度に失くしてしまう事もある、
それこそ磨かれていない石のかたまりだ。
‘僕をちょっと認めて下さい’と主張することや虚弱な泣き言を言う時間があるなら
いっそ歌の1曲、踊りの1回でもより(多く)練習して実力を積むほうが良い。


 僕はこの待つ事(という行為)がもつ‘肯定的な面’を熱心に探し出し始めた。
さいわい次の日の試験は大部分が暗記科目中心であった。
どっちみち電話が鳴るまで待たなければならない3、4時間の間、
僕は片手間に試験勉強をした。人が多い所で集中して覚えたところ
頭の中によりスっと入ってくる気分だった。
僕はまた再び自分自身に言い聞かせた。

 ‘幸いその時間の間に試験勉強をしたおかげで、今は帰って
  練習をもっと長くできる。寒くてお腹もすいて、少し悲しいけど、
  なに、この程度なら大丈夫な状況ではないか?’




 デビュー前までの時間は僕自身を(しっかりと)堅く造っていく
焼き入れの期間だった。鉄になる時まで火に熱して
槌でガンガン打ち下ろして、また冷水にいれて‘プシュー’と
冷ましてまた熱する時間・・・。

 膝が折れることはあっても、挫折して座っている時間はなかった。
賞賛や激励どころか、無関心と無視の中でも
ずっと楽観して、ずっと肯定しながら実力を積むのが
練習生のもっとも重要な任務だから、という事だ。












この話 以前どこかで



してた気がします







真冬に


何時間も待った話・・・





それが 多分 これなのか










マネージャさんのお言葉






「自分で判断して行動する


という社会に出ている 大人ならば






当然のこと だと



言えると思います











でも 



子どもにとっては



とても酷なこと






練習生 = 「運搬中に落としても拾わない荷物」



つまり 拾うに値しない



という事なんでしょうね










その例えからも



練習生時代の苦労や葛藤


もの悲しさが






よく伝わってきました

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僕に‘運命’はあたかも‘偶然’の事のように訪れた⑥

暗いトンネルの中で  
     毒気を帯びて堅くなる






 小学校6学年の時から中学校3学年の時まで4年の間は
議政府にある家と学校、そして弘大前の練習室を毎日行き来して
学校生活と練習生生活、そして2番目の息子の役割を兼ねないといけなかった。
全てのことが漠然としたが、何が何なのかよく分からなかった時で
大変だとも判らなかったし、ひたすら浮かれるだけだった。
 後日になさったお言葉だが、僕がその遠い道を死ぬほど行き来する事が
お母さんが御覧になってあきれることだった。
それも1日も欠かすことなく、不平の一言もなかったのだ。
‘そんなにやりたいなら一度やってみろ’とやむ得ず許諾はなさったが
痛ましくて胸がしびれたことが一、二度ではなかったと
最近も目頭を濡らされた。

 練習生として生きるという事は多くの人たちが想像するような
‘完全 面白い’そんな経験ではない。
汗を流して、僕がしたい練習だけすればいいから幸せだった
というならば、嘘だということだ。
一日一日が不安で、僕の境遇が惨めになる時も多かった。
 だけど、そんなときでも僕は‘練習生というのはみんなそんなもの’
‘大変でないのなら、それがもっと変だろう’とマインドコントロールをしながら耐えた。
事実その方法しか他にできることがなかったりした。
 
 ビッグママ姉さん達の言葉のように‘練習生は何をしても悲しい’
誰も気を使ってくれなくて、大部分の時間の間‘放置’される感じだ。
あるときは何も解らないまま盲目的(がむしゃら)に待ってろといい
‘何年何月何日まで これ、あれ、これだけ練習すれば
その次は歌手になれるものだ’と知らせてくれる人もいない。
明日の計画も、未来の画も分からないので、ひたすら
出来ることをずっと‘熱心にすること’しかない。
 
 練習生の僕はそうして、さらに多く、さらに長く耐えなければならなかった。
僕自身を信じて全ての事を肯定的に考えることしか方法がなかった。
まるで武侠映画に出てくる掻師匠の弟子のように
‘いつか 僕自ら 立ち上がることができる時まで’
もっと強くならなければいけなかった。準備する人(練習生)の
心がけというのは、それしかないようだ。
そうして、大変な時ごとに内心でブツブツと唱えながら
心を強く決意しおこなった3つの約束があった。
 
‘挫折しない’
‘放棄しない(あきらめない)’
‘(悪い方へ)傾いてると考えない’

僕自身の一つの約束(事)であった。















いつもは 


3、4ぺージ程度なのですが



今日のは2ページと




少なめ








なのに こんなに重い内容・・・







映画の例えは



なんとなくしか分からないけど   








自分の気持ちを



コントロールしなければ



長い下積み生活を



耐え抜くことは困難だったのでしょうね・・・






僕に‘運命’はあたかも‘偶然’の事のように訪れた⑤

‘お前が選択したのならば、責任を負うことも ひたすらお前の役割だ’





 他の家もどこもみな よく似ているけれど、僕達のご両親も
兄さんや僕が大きくて 医者や判事、教授みたいな
もっともらしい職業を持つ(就く)よう望まれた。
だけど、兄さんと僕はすべてしろという勉強よりは
音楽に関心がより多かった。
ご両親はせめて1順位の職業を持て(就け)ないならば
ピアニストや音楽の先生になることを望まれて、僕はやはり
そんなご両親の期待が僕の希望事項(夢)のように考えたこともあった。

 着実にやってご両親のお言葉に順応した子どもが、ある日突然
‘企画社の練習生’になるんだと言い、ご両親はとても驚かれた。
芸術とか芸能分野が本当にそのように好きならば、歌手になる事よりは
いっそ演技者になる方が‘安定的’ではないかと僕を説得なさった。
 なにひとつ易しい分野があるはずないけれど、最小限‘歌手’という夢は
‘僕が好んでやりたくて上手く出来る’ことだった。
僕は初めてご両親のお言葉に逆らって
僕の夢を実現するために計画を立てた。


 僕がご両親を説得する方式は家を飛び出したりご飯を抜いたり
言葉を話さないという、反抗的な形態ではなかった。
僕の夢を叶えることも重要だが、(ご両親との)関係を壊して
他の人に傷を与えるのなら その道を行きたくはなかった。
有り難くも最小限 僕達のご両親はぎゅっと閉ざされた壁
(←分からず屋)ではいらっしゃらなかった。
 お手伝いを全て引き受けて、清掃は基本で、ご両親がさせなくても
何かしてさし上げれば 好まれる仕事を探してやった。
これから練習生になって歌手になっても、優しくて誠実な息子の姿は
失わないという無言の約束だった。 そして
暇ができるたびに出来る限り最も真剣に僕の心を伝えた。



 もしも ご両親の強い反対にぶつかって
耐え難い瞬間をおくっている人がいれば、僕の経験を分けたい。
僕が切実に望むことがあって周囲の人と意見が違う時、
むくれた顔で口を閉ざせば説得する機会は永久に逃げてしまう。
僕の頭の中には明らかにある考えがあり、確信があるので、
まだ幼なかったり 経験が少なくて確実に何と説明するか
言葉が思いつかない時があることだろう。
その時、そのまま(途中で)投げ出してしまったり
‘ご両親は僕を理解しない’と背を向ければ
永久に説得の機会はこない。そのようになれば
誤解と傷だけが残ったまま お互いがお互いの考えを永遠に理解せず
僕の夢を支援してくれる心強い後援軍のひとつを失うことになる。
それが、僕がその時感じる点だった。
衝突するのではなくご両親の本当の本心を推し量って、
重要な声で説得すること。それが、僕が考える解決法であった。
 
 結局 15日(半月)程度、説得した時、
ご両親はとうとう許諾をなさった。
ただし、そこには但書がついていた。

 ‘そうか、お前がそうやって本当に求めるなら、やりたいようにしなさい。
だけど、お前が選択したことだから、お前が責任を負いなさい。
一度始めたなら必ず最後を見なければならない。(しなければいけない)
お前がそこで失敗しようが挫折しようが、後で言い逃れをする事や
とんでもない鳴き言をいう事は認めない。’ 


 
 そして、さらに一つ条件があった。
‘練習生活動をするという言い訳で学校生活をいい加減にしないこと’
特に‘現在の水準(レベル)の成績を維持する’ということ。

 ご両親とのその約束と共に、僕は
僕の‘夢のワイルドロード’に本格的にさしかかることになった。













「両親様」 を 「ご両親」 と


訳させて頂きました







ちびっ子ヨンベ



なかなかの やり手ですナ~








自分の行動で


認めさせるという





大人顔負けの冷静さ










一歩ずつ着実に・・・


っていう精神  は今も


変わってない気しますねぇ








またまた 「企画社」



で思い出しました






いまでこそ 


YG ENT で定着してますが







昔は 「ヤングン企画」


でしたよね 笑




ヤングン=YG  


って意味は同じでも







聞こえが違えば


イメージも変わるモノなんですね
 

僕に‘運命’はあたかも‘偶然’の事のように訪れた④

‘社長様 練習生にして下さらなければ 僕 どうなるか分かりません’


 ミュージックビデオの撮影はそのように僕の人生の2番目の‘シーン’になった。
僕はその場面でもう一度勇気を出した。その日ミュージックビデオの撮影現場に
所属社のYGエンターテイメントのヤン・ヒョンソク代表様が訪ねて来られた事だ。
普段のようならば会う事も、当時の僕にとっては
大胆にも真っ直ぐに見つめる事もできない。‘神のような方’だった。
神が与えた機会を逃せなかった。
撮影が終わればションの子役という役割も終わり
YGとの縁も終わる状況だと、僕の頭の中である回路が
‘今動かずにじっとしていてはいけない’と僕を操縦したのかもしれない。


 僕はジヌションの2方と話を交わすヤン代表様の前にいきなり出た。
出せる力を全て絞り出し勇気を出したけれど、実際にその前に立って
どれだけの緊張になったのか膝から顎までそれこそブルブルと震えた。
 ‘社長様 僕も歌手になりたいです。’
 僕は震える声で‘抱負’を明らかにした。
小学生のちびっ子が不敵にも話を切り出したので
ヤン代表様の立場では可愛くもあり、とんでもなくもあっただろう。
社長様は薄い微笑みを作って一言で状況を整理して下さった。
 ‘遠からず(近いうちに)連絡するから家に帰って待ってろ’

 今考えてみれば、撮影現場の熱気に浮きだって
瞬間的に下した決定のように受け入れられたようだった。
子どもが全くデタラメな要求をしてそのままくれといって
門前払いなさったようだ。だけど僕はその‘遠からず(近いうちに)’
という根拠のない約束に限りない期待をのせたまま、
むやみにヤン代表様の呼び出しを待っていた。


 増すことも減ることもなく ちょうど1ヶ月が過ぎた。
僕にとっては10年にもなることのような長い時間だった。
それ以上待てないと判断した僕はむやみにYG事務室へと踏み込んだ。
代表様と約束も定めていない状態で、代表室のドアを押し開けて
奇襲を敢行したのだ。そして、しっかりと尋ねた。
 ‘社長様、なぜ 連絡をやるとおっしゃって 何も話がないのですか?’

 突然のちびっ子登場だけでも当惑したことでしょうに
借りて行った金を返せという風に出し抜けに問い正し聞いた。
瞬間的で言う言葉を失ったヤン代表様はする必要もない謝罪までなさった。
 ‘お? お そうか、 お前・・・お前かぁ。 あ・・・すまん。俺が忙しくてさ’
僕はその隙間を逃さなかった。
 ‘それなら練習生にして下さるということですか?’

 心を落ち着かせたヤン代表様は快く‘やれ’と許諾なさった。
僕の才能や浮気心(?)より勇気に感心したようだ。
後ほどヤン代表様は当時の感じをこのように話して下さった。

‘‘最初は 子どもが来てそのように話をするから何となく
後ほど連絡をやるとだけ言った事だったが
本当にこのちびっ子が事務室まで訪ねて来て
なぜ連絡しなかったのかと問いつめて。
ハッと驚いたさ。しばらく当惑しては‘忙しくて連絡をしなかった’と
すまなかったと言ったが・・・。
とにかく幼い友人がそうやって勇敢にドアを開いて入ってくることは
簡単ではなかったはずなのに、(その)勇気が感心して見えたよ’’



 そのようにして 僕のYG練習生生活
この苦しくて 楽しい 6年の時間が始まった。
















大胆不敵な ちびっ子ヨンベ



どこが小心者なんだか 笑










ヤンサからしてみれば


わざわざ 訪ねて来るなんて


思わなかったでしょうね・・・








でも



大人の


「連絡する」っていう 社交辞令



子どもなら信じちゃうよね・・・









ちびっ子ヨンベの純粋な心


なんだか微笑ましい







「幼い友人」 で思い出したケド







ジェウクさん達や 


BB君達も


みんな 







ヤンサのこと


「ヒョン」と呼んでるのが


なんか好きだったりする





「YG FAMILY」 の名の通りダ


僕に‘運命’はあたかも‘偶然’の事のように訪れた③

‘兄さん、ジヌションの子役 
    ちょっと やってみる?’





 小学校3学年の時、少しの間 叔母さん宅で過ごしたことがある。
両親二人とも忙しかった時期なので叔母さんにしばらく任せたようだった。
 当時、一緒に過ごした従兄弟が演技学院に通ったので
見知らぬ町内や一人で遊ぶのも退屈でそれほどする事もなくして
友達について江南に行くかのように演技学院に通うようになった。
10歳頃の僕は人なつこさも無くて、恥じらいを多くもつ
内省的(←内向的の意)な子供であり
当然、演技にはこれっぽっちも関心がなかった。
音楽を聴いたり、ピアノを弾くこと以外には好きな事もなくて
誰かが‘将来 大きくなったら何になりたいの?’と尋ねでもすれば
顔が儲けるように負けたまま、その時その時どうにか言い逃れたりした。

 そんなある日、友人の一言が僕の人生を根こそぎ変えることになった。
演技学院で親しく過ごした友達がいて、僕より1歳幼かったけれど
関心事も似ていて性格もとても合い 兄弟のように過ごした奴だった。

‘兄さん、オーディション見ないの?’
‘オーディション? 何のオーディションだって?’
‘うん。ジヌションっていう・・・ 兄さん 知ってる?
その歌手の子役で、僕がジヌの役割に合格したんだよ。
それで ション役をする子役が1名さらに必要なんだって。’

 ジヌションという言葉に耳がパッとそばだった。

‘ジヌションの子役? それ何をするんだって?’
‘うん。その兄さん達が出てくるミュージックビデオに、
兄さん達の幼かった頃の姿で出て来るんだ’

 その友人はそのままやり過ごす言葉で‘一度 やってみる?’
というように薦めたのであった。
 だけどその瞬間、僕の頭の中ではピカ!として電流が流れた。
他の歌手でもなく、僕が本当に好きなジヌション兄さん達とは!
小学生の年齢でも‘(自分の)兄さんと同じ年頃の音楽’にだけ
はまって生きた僕には、ジヌションはそれこそ崇拝の対象だった。
歌詞やラップ、ちょっとした動作まで完璧に暗記しているから
我こそは‘準備された子役’に違いなかった。

 演技学院に通う友人達は大部分ドラマや広告CFに出演する事を
目標にするので、音楽を特別に好んだり、特にヒップホップのような
ジャンルの音楽を楽しく聴く子ども達が それほどいなかった。
踊りでもラップみたいなものにも関心がある訳がなかった。
 僕は生涯初めて 何か強烈に願うものを握り締めることに「決心」した。
もじもじして躊躇すれば、永遠に二度と訪れてこない機会だった。
人なつこさがない子供、自身が何を望むのかよく分からない子供から
‘心臓が指し示す方向を向いて跳び上がる子供’へ変身した瞬間であった。
僕は渾身の力を尽くしオーディションを準備した。
動作を習って、ラップをまた完璧に覚えて、ション兄さんとは全然違う
表面(外見)の所有者だったが 表情までも同じように真似て
まるで僕自身のソロ舞台を準備するようにオーディションを準備した。
 そして・・・。僕はオーディションに合格した。
当然の結果だったかもしれなかった。
(見た目が)似たように出来た子供は探すことが出来たかもしれないが
似た浮気心(?)と熱望を持ったションの縮小版は探すのが難しかったからだ。
 今かえりみれば その時から僕は‘熱情と執念だけ持てば
やり遂げられない事はない’という信念をもつようになったみたいだ。
演技学院で誰も注目しなかった子供、恥じらい多くて何ひとつ上手くやったり
引き立って見えることが無かった子供は
そのオーディションを契機に再び生まれ変わった。

 期待に満ちて到達したミュージックビデオの撮影現場は
僕が経験していなかったまた別の世界だった。
音楽を好んで聴くことにだけに満足した僕は、直接
音楽を創造して表現する楽しさを間接的ながら味わう事ができた。
バスケを見学する事とバスケコートに直接飛び込む事は厳然と違う。
よどみなく四方へ跳ねる汗の滴と裂けるような心臓の鼓動音
手を触れれば火傷するような熱い体温が本物だ。
 直接 ミュージックビデオで着るヒップホップの衣装を選んで
ラッパーの表情と身動作を表現しながら、僕はアーティストになる事の楽しさ
そのピリっとしてなまぐさい空気を微かに吸い込んでしまった。
たとえ僕の声が入っていかなくても、僕は本当に
歌手になるように 小さい手と足と口をまめに動かした。
その瞬間‘歌手’という運命的霊魂が 僕の手と足と口を介して
僕の中に流れ込んでいったみたいだ。
 
 その前まで僕にある‘人生’とは 
与えられた通り着実にやり 誠実に歩いていけば
いつかは足を踏み出すことになる未知の世界だった。
人々が尋ねるたびごとに礼儀上で答える僕の夢は
‘ピアニスト’や‘音楽の先生’だった。
お母さんは僅かな才能を見せる僕にピアノを買って下さって
バイエルとチェルニー教本を実力が向上する速度に合わせて
きちんと供給してくださった。それ以前まで僕にある人生は
そんなピアノ教習のように両親のお言葉をよく聞いて
着実にやっていけば、1段階ずつ昇っていける階段とも同じだった。
のしのしとあの高いとこへ2,3階段ずつ跳ね昇ることなんて
‘小心な(臆病な)’僕にとっては想像もできない事だった。
 だけど この世の中には‘僕がつくっていける世界’があった。
与えられた階段をつかつかと昇って行く程度ではなく
僕が創造し出して僕が作っていけるワンダーランドがそうだ。
そして、その世界の門をひらく事は完全に僕の役割であった。

 僕はその日のミュージックビデオ撮影の瞬間の
胸のドキドキを骨の中に深く刻んだ。 そして今まで
一度の瞬間もその感じ(感覚)を忘れたことがない。










私の記憶の中では・・・


ヨンベ話の中で






この回が 何気に 


1番訳しづらい表現が


多かったと思います







なので 冒頭から


意味不明な訳になってしまって


自分でも笑えます






プロフィール

ユウ

Author:ユウ
管理人⇒ユウ
トン・ヨンベ氏の微笑みに
心を奪われて5年目・・・
YGファミリー大好き★

BIGBANGのBLOGをしていますが
ヨンベ愛の深さにより
「YBism」をスタート!!
B型ならではの不思議な彼の魅力をお届けしていきます♪

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